「目先の合理主義」
日本の銀行が駄目になった理由について城南信用金庫の真壁実会長はユニークな分析をしておられる。
かつて日本の銀行は,支店ごと,支店に残ってるはずの現金と実際に残っているはずの現金とを照合するという仕事をしていた。その結果,たとえ一円でも合わなければ全員で残業して原因分析をしていた。原因がわかるまで帰してもらえなかった。
ところが,いくつかの銀行はこれをやめてしまった。たった一円のためにいったいいくらの残業代を払っているのか,という合理的に見える理由でやめてしまったのである。真壁氏は,それから日本の銀行はおかしくなったと分析している。この慣行は,お金を合わせることが目的ではなく,銀行員に一円の怖さを体で教えていたのである。
このような合理主義は,「目先の合理主義」ということができる。日本の現場には,目先の効果だけをみると,合理的でない慣行がある。カイゼンも小集団活動もそのような性質を持っている。
トヨタ自動車の品質管理の人々に,「不良ゼロはコストがかえって高くつくことにならないですか」と聞いたことがある。
「どんなにコストがかかっても,不良ゼロでないといけません。高い不良率のほうがコストは安いなんて言い始めたら,現場の技術と意欲は急激に低下します」という返事が返ってきた。
不良をゼロにするという目標の意味は,目先の利益だけで判断してはならないのである。
(中略)
目先の合理主義が怖いのは,ひとつのことを継続してやり続けるよりも,何か新しいことをやるほうが効果が大きいように見えるところにある。
(中略)
同じようにして,目先の合理主義は現場の重要な慣行を壊してしまった。
(引用文献)
加護野忠男. 経営の精神:我々が捨ててしまったものは何か. 生産性出版, 2010, 185p.
民間企業で上記の通りなのですから,「非営利」かつ「知識・文化の伝承」という永続的な視点が重要となる図書館では,なおさらのことなのだと思います。